震災・原発事故に伴い浪江町から郡山市へ移り、窯を再開した大堀相馬焼「岳堂窯」十六代目窯主、志賀藤衛門=本名・志賀喜宏さんは被災したあと、郡山を新天地に定め、2014年5月にその地の名称を用いた「あさか野窯」を開窯。この名には、郡山という風土、受け入れてくれた地への感謝の気持ちと新天地郡山で、あさか野窯初代としてゼロからのスタートをする決意が込められています。その土地に暮らし、地元の原料を使ってこその伝統工芸との思いから、地元郡山の粘土を伝統的な大堀相馬焼の技法と融合させ作陶。「まったく新しい郡山の焼き物として、地域を代表する物産品を生み出すことが、郡山という土地、そこに住む人たちへの恩返しと考え、あさか野焼と称している。」と語ります。